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by yanegami

2002年写真展 展示説明文

 色とりどりのお供物に紫の幕、緑色のお榊、白地の提灯にかかれた熱田神宮、津島神社、秋葉神社の文字。2002年写真展 展示説明文_a0015174_935772.jpg
名古屋の下町で毎月1日、15日に見られる月次祭(つきなみさい)の光景です。もともと屋根の上にあった神さまは今では大部分が地上や別の所にまつられていますが、たとえ別の形でまつられることになっても昔からお祭りを行う人々の姿は変わりません。私の好きなこの風景をカメラにおさめ始めたのは三年前。偶然図書館で屋根神さまの写真集を手にしたときからでした。以来、早朝行われる月次祭の準備を撮影するために早朝四時起き、五時出発、神さまの下で二時間待ちという試練に耐えながらこの「屋根神さまのある風景」を写真におさめてきました。

 熱田神宮、津島神社、秋葉神社の三社をまつる祠(ほこら)は元来大半が屋根の上や軒下に存在していたといわれています。それが現在一般的となった「屋根神さま」と呼ばれるいわれです。しかし地域によっては「お天王さま」と呼んだり、「秋葉さん」もしくは「氏神さま」「町神さま」「軒神さま」と地域で昔から親しまれてきた名前で呼ばれています。ですがどの神さまも三社(通常の三社以外にも氏神などを加え四、五社のところもある)をまつり、祭祀形態が似ていることから「屋根神さま」という呼称が一般化したようです。
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 屋根神さまは現在、名古屋市内に一三九軒(二〇〇二年五月調べ)確認しています。その大半が第二次世界大戦で焼失を免れた西区で、全体の五四%である七五軒(月次祭未確認社を含む)。次いで中村区、中区、東区と古くから・町・が形成されていた地域で人々の信仰を受けています。また少数ですが瑞穂区や南区など名古屋市南部にも存在しています。
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 どの「屋根神さま」も町内や隣組といった小さな単位でまつられており、月次祭はその月の当番によって執り行なわれます。当番は神具の入った木箱や道具類を収めた倉庫などの鍵を回して当番の所在を明らかにし、神前にはお神酒や塩、洗米、榊のほかに「海のもの」「地のもの」「山のもの」が供えられます。毎月1、15日に行われる月次祭ですが、秋葉神社をまつることから16日に行う地区もあります。一方、祭りを行う人が少なくなったので1日だけに限って行う地域もあり、さらには高齢化や高所作業の危険性など月次祭自体を行うことができなくなってやむなく廃社するケースも見られます。
 地域の共同体を支えてきた屋根神さま。しかし今、屋根神さまを取り巻く環境は年々厳しくなっています。分布調査の比較から分かるように最近一〇年間の減少は特に著しく、開発や都市化の進展が共同体の信仰の「居場所」を狭めている事実を読み取ることができます。
 数年後には名古屋から屋根神さまは消えてしまうだろう...あるところで聞いたこの一言に私は危機感と焦りを感じました。と同時に、今なお昔ながらの信仰をまもっている方々の姿を直接目にしさらに話を聞くにつれて、自分なりの方法で屋根神さまを記録していきたいと強く思うようになりました。今回の展示会はその思いを多くの人に伝える初めての試みです。
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 私は大学卒業とともに韓国の大学に留学しました。当時、「足で見る」ことでソウル市内だけでなく韓国全土をくまなく歩き、韓国独特の風景や人々の生活を覚え立ての韓国語を使って見聞きし記録しました。そのころに培った経験と名古屋に対する気持ちが屋根神さまとの出合いにつながったのかもしれません。屋根神さまを探すために名古屋中を歩き回り、出会った人たちからは屋根神さまだけでなく名古屋の昔話を聞くこともありました。屋根神さまを通して私は自分の生まれ育った名古屋を再確認する作業を行っているのだと思います。

 「屋根神さまのある風景」は私の大好きな名古屋の中にある故郷の風景なのです。

※写真は上から、昭和区北山本町(2001年7月)、中村区名駅(2001年9月)、西区五條橋(2001年8月)
by yanegami | 2004-08-26 09:38 | 写真展